EXHIBITIONS

石元泰博 「桂」

会期: 2024年5月30日(木) – 6月29日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー 京都

タカ・イシイギャラリー 京都では5月30日(木)から6月29日(土)まで、日米を行き来しながら活躍した写真家、石元泰博の個展「桂」を開催いたします。1983年に紫綬褒章、1993年に勲四等旭日小綬章を受章し、1996年に文化功労者となった写真家・石元泰博。戦後1948年にバウハウスの伝統を受け継いだインスティテュート・オブ・デザイン(ID)に入学し、アーロン・シスキンやハリー・キャラハンの指導を受けた石元の作品はキャリア初期から造形写真とも呼ばれ、対象の構造的・空間的特性を鋭くとらえた作品は、写真界だけでなく建築やデザイン、美術など戦後日本の芸術界に大きなインパクトを与え、国内外で高い評価を得ています。また彼の撮影に対する飽くなき探究心は「カメラを持った古武士のまなざし」とも称されます。

本展では、石元の代表作であり、モダニズムの視点を通してとらえた日本の伝統的建築を撮影した桂離宮のシリーズよりモノクロ写真7点とカラー写真4点を展示いたします。

1953年、当時32歳であった石元は、ニューヨーク近代美術館で行われた日本を代表する建築や空間を取り上げた展覧会「Architecture of Japan」の準備のために、ニューヨーク近代美術館建築部門キュレーターのアーサー・ドレクスラーと建築家の吉村順三とともに、日本の伝統建築の調査として京都、奈良、大阪を回り、そこで初めて桂離宮と出会いました。石元は図録の挿絵として桂離宮の撮影を依頼されていました。

1620年から1658年にかけて3期に分けて建てられた桂離宮は、伝統的な日本建築の逸品であり、今日でも多くの国際的なデザイナーのインスピレーションの源となっています。1950年代に桂離宮を訪れた建築家ウォルター・グロピウスは、この建物を「私たちの感情に訴えかける建築物である」と評しました。一方で「明快な言葉でできている」と称した桂の庭に立った石元は、黒みを帯びた柱・鴨居・廊下の手すりが分割する建物の構成や緑の芝生とビロードのような苔の上を雁行する踏み石などに独特のリズムを感じ、モダニズムの美を見出します。翌年1954年にはシフトレンズを使い1ヶ月に渡りモノクロ写真に注ぎ込みました。別荘のあらゆる側面を特徴づける調和を尊重し、それを写真に反映させることを念頭に置きながら、形や線の純粋さ、光やそのさまざまな価値観の絵画的な質を追求しています。

その後その写真は写真集『桂KATSURA 日本建築における伝統と創造』として、1960年に造型社とイエール大学で出版されました。ハーバート・バイヤーが編集を担当し丹下健三、ウォルター・グロピウスの文章が付けられたこの本は大きな反響を呼び、その後の建築史に多大な影響を与えました。
その後、版を重ね、1971、72年に中央公論社、イエール大学から出た改訂版では、グロピウスの死去に伴い、著者は丹下健三、石元泰博の2人となり、1954年に撮ったオリジナルを亀倉雄策によるレイアウトにより石元の特徴をより強調した構成になっています。

その後桂離宮では1976年から6年にわたり初めての大規模な解体と修理が行われました。柱の修復や、ふすま絵の補修が済んだ1981年から82年にかけて、石元は約30年ぶりに桂離宮を訪れ、カラーフィルムで撮影しました。それらの多くで大型ストロボを多用し、ありのままの空間や形そして色彩を捉えることで、石元の心に響いた「桂離宮」のあるがままの姿を撮し出すことに専念しました。これらの作品は1983年、岩波書店から『桂離宮空間と形』が出版され、3冊目の桂の作品となり、同書はアメリカ、ドイツ、イタリア、スイスでも出版されました。

石元泰博は1921年サンフランシスコ生まれ。3歳で両親の故郷である高知県へ移住、1939年に18歳で再度渡米。第二次世界大戦中にコロラド州の日系人収容所アマチ・キャンプに収容され、そこでの2年間で、他の囚人たちから写真技術を学ぶ。1944年、沿岸諸州への居住禁止を条件に終戦前にキャンプから出ることを許され、シカゴに移住。当初建築を学ぶためノースウェスタン大学に入学するが、キャンプ時代にとりくみはじめた写真趣味が高じ、シカゴでスタジオを経営していた日系人写真家ハリー・K・シゲタ(重田欣二)の推薦を得て地元のカメラクラブに入会、さらに写真を学ぶため1948年に、バウハウスの伝統を受け継いだインスティテュート・オブ・デザイン(ID)に入学し、ハリー・キャラハンとアーロン・シスキンドの指導を受ける。1952年同校を卒業。在学中1950年に『Life』誌のヤング・フォトグラファーズ・コンテストに入賞、また優秀学生に授与される学内賞モホリ=ナジ賞を51年、52年に受賞するなど早くからその才能を示し、シカゴで写真家としてのキャリアを開始。
1953年に来日し、代表作となる桂離宮シリーズを撮影。1958年にはシカゴと東京の人物・風景を捉えた初写真集『ある日ある所』を上梓し、戦後日本の芸術界に新風を吹き込む。その後も東京を拠点に活動を続け、伝真言院両界曼荼羅、伊勢神宮などの日本の伝統美や都市風景、ポートレイト、空、水など、IDで培った厳しい造形意識をもとに、独自の視点を示す作品を残した。写真表現に限らず、デザイン、建築など戦後の国際的動向に深く関わる石元の功績は、文化功労者に選出されるなど、広く讃えられている。1969年に日本国籍を取得。以後、晩年まで日本を拠点として制作を続けた。

主な個展に、「生誕100年 石元泰博写真展」高知県立美術館(2021年)、「生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代」東京オペラシティ アートギャラリー、「生誕100年 石元泰博写真展 生命体としての都市」東京写真美術館(ともに2020年)、「Yasuhiro Ishimoto: Someday, Chicago」デポール美術館(シカゴ、2018年)、「石元泰博:バイリンガル・フォトグラフィとグリーン&グリーンの建築」ハンティントン・ライブラリー(カリフォルニア州サン・マリノ、2016年)、「石元泰博写真展 –桂離宮 1953, 1954–」神奈川県立近代美術館(鎌倉)、「桂離宮」バウハウス資料館/造形美術館(ベルリン、ともに2012年)、「KATSURA: Picturing Modernism in Japanese Architecture, Photographs by Ishimoto Yasuhiro」ヒューストン美術館(2010年)、「Ways of Seeing: The Photography of Ishimoto Yasuhiro」ヒューストン美術館(2009年)、「Yasuhiro Ishimoto Photographs: Traces of Memory」クリーブランド美術館(2000年)、「伝真言院曼荼羅」国立国際美術館(大阪、1999年)、「二都物語」シカゴ美術館(1999年)、「石元泰博の伊勢」シカゴ美術館(1998年)、「石元泰博展-シカゴ、東京」東京写真美術館(1998年)、「石元泰博写真展」シカゴ美術館(1960年)など。また、「メタボリズムの未来都市」森美術館(東京、2011年)、「日本写真史」ヒューストン美術館(2003年)、「The World and the Ephemeral」アルル国際写真フェスティバル(1999年)、「東京国立近代美術館と写真 1953-1995」東京国立近代美術館(1995年)、「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー」ニューヨーク近代美術館(1974年)、「人間家族」ニューヨーク近代美術館(1955年)などのグループ展にも参加。

協力: Photo Gallery International(PGI)

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